仕事で腑に落ちない事があって、同僚に軽く漏らしたところ「アンジュさんが怒るなんて相当ですね」と言われ、そうなのかと思った。

そう言われてみると、私は割と普段からありとあらゆる事に小さな怒りを覚えるタイプではあるものの、基本的に私が何かに怒っているという事実なんて誰も興味が無いだろうから言わないようにしている。

自分の怒りによって他人や物やルールを思い通りに動かそうとしている人を見ると、みんなそれぞれ守りたいものがある中で、どうして自分の感情が最優先してもらえると思えるんだろうとすら思ってしまう。

とはいえ先日お酒の席での話の流れの中で、かなり昔とある男に無理やりキスされ最悪だったという話をしたらその場にいた友達がめちゃくちゃキレてくれてなんだかそれがすごく嬉しかった。

もしかして今後は怒りに関わらず自分の嬉しかったり悲しかった出来事をもっとたくさん人に話したりしてもいいのかしら。

低気圧のせいか起き上がるのも億劫で少し気を緩めたら泣いてしまいそうなくらい情緒がグズグズで最悪な気持ちで朝を迎えたけど、頑張って丁寧に化粧をして髪を艶々にして新しい服を着たらかなり情緒が安定した。出先でも見た目を褒められることが多い一日で精神が少し回復した。

 

 

年齢を人生の目安にしたくはないけど、自分がその歳の頃はどうだったかとは考えるし、どうしたって比べてしまう。

上手くいくかどうかわからないけど とにかくそれでもやってみること、は簡単なようで自分が踏み切れるかと言われたらものすごく躊躇うし、うまくいかなかった場合のことを考えてしまって行動に起こせた試しがない。だからこそ、自分の頭で考えて、身ひとつでやりたいことを形にしている人はそれだけで本当に素晴らしく思う。

わたしはどうしようもなく捻くれているので、つい妬ましく感じてしまうこともあったけれど、今日初めて彼女と2人きりでゆっくり話をしたらすごく真っ直ぐな気持ちで尊敬できた。彼女はとても若くて、どうしたって周りに居る大人達の支えも必要で。けれどみんな小さなお店同士で支え合うことの大切さを知っているからこそ足繁く通う人たちが存在するわけで。それこそお店をろくに利用したこともないような知らない大人の、心無い言葉に惑わされないでほしい。彼女の行末が、どうか明るく健やかなものでありますように。

 

今年成人を迎えた友達がたくさんいた。みんな思慮深くて社会の関わり方や自分との線引きの仕方が上手くて二十歳だった頃の自分を重ねては情けない気持ちになる。でも五感で触れたもの全てに影響されて精神性は形成されていくと思うから、年齢ではないことも知っている。みんなみんなおめでとうだ

さっき数年ぶりに後ろ姿を見たとき ほんの数秒のことだったのにその当時の空気の質感のようなものがフラッシュバックして一瞬だけ心が2016年に引き戻されたような気持ちになった。なんかもう俯瞰的にしか見れないな、でも一応茶番に付き合わせてしまってごめんねという気持ちはあるんだよ