年齢を人生の目安にしたくはないけど、自分がその歳の頃はどうだったかとは考えるし どうしたって比べてしまう。オギワラさんが好きな映画を紹介する新聞の記事で話していた、上手くいくかどうかわからないけど とにかくそれでもやってみること、は簡単なようで自分が踏み切れるかと言われたらものすごく躊躇うし 実際のところどうしてもうまくいかなかった場合のことを考えてしまって行動に起こせた試しがない。だからこそ、自分の頭で考えて身ひとつでやりたいことを形にしている人はそれだけで本当に素晴らしく思う。わたしの捻くれた性格でどうしても妬ましく感じることもあったけれど、今日初めて彼女と2人きりでゆっくり話をしたらすごく真っ直ぐな気持ちで尊敬できた。彼女はとても若くて、どうしたって周りに居る大人達の支えも必要で。けれどみんな小さなお店同士で支え合うことの大切さを知っているからこそ足繁く通う人たちが存在するわけで。それこそお店をろくに利用したこともないような知らない大人の、心無い言葉に惑わされないでほしい。彼女の行末が、どうか明るく健やかなものでありますように。

いつかどこかで恥の無いように、と覚えたテーブルマナーの知識はもう使う機会もほとんど無くなってしまったけれど わたしがなりたいと思う人間を形成する為に必要な教養として無事に自分の成分のひとつになっているから無駄じゃなかったのかもしれない。気に入られたいと思う大人の前で使う言葉遣いもそうだ。その場に相応しい常套句を正しく選択出来たとき そうやって「若いのに食べ方や言葉使いが丁寧な人」のイメージを植え付けてそれらを褒められたりすることへの渇望がある。いずれも平凡な自分を装飾するための付け焼き刃でしかないのだけれど。

 

これはもう幼少期に芽生えたサガのようなもので、意識せずとも勝手に脳が指令を出して言葉や表情を作る。けれど皮肉にも、わたしが本当に心惹かれる大人達は必ずわたしのそういった浅はかさを見抜く。いやむしろそういうところが好きなんだ!と思っても、他人と真摯に向き合うという心を備えない限りやっぱり精神で繋がり合うという領域にまでは至らず、上っ面だけ取り繕った、胡散臭い人間だと思われて距離を置かれている。現状。

 

たとえ後天性であっても、感受性を研ぎ澄ませたいという欲求は枯れていないからわたしはきっと、きっとまだ大丈夫。歳を重ねていくにつれて気付きや閃きが鈍くなるけれどわたしはもっと精神面で鍛錬を積みたいと思ってる。これは本当。

結婚も出産育児も自分にとって無縁なこともないけれど不向きであることは確かだと思う。互いの人生に介入し合いながら生きていくことに時々救われることはあっても、正直なところ今はつらい。わたしはどこまでも個体でありたいというのが本当。というよりも、今は身一つで生きていくことだけで精一杯だ。ママとパパが働けるうちに子供を作ったほうがいいよとか言われても なんだか微妙な返事しか出来なくてむしろ少し悲しい気持ちになってしまったのは結局のところ、仮に心の底からそうしたいと願っても実現できる環境が備わってないことも本当は今向き合わないといけない問題なはずなのに、わたし含め全員がそこから目を背けていてそんな状況のなかで子供を産み育てるなんてわたし以上に子供が可哀想だ。

 

わたしはきっと必要以上に先読みをしてしまうタイプで、人生はそんな設計した通りにはいかないよとは言われるものの 閉鎖的な環境で生まれ育った子供がどんな目に会うか、わたしがそうだったからわかるんだよ。卑屈っぽさや自己肯定力の低さはその代償だろうし、今になってわたしが家族に対して真っ直ぐ愛情を還元できるのは、結果的にある程度裕福な環境を手に入れることが出来たからであって。

 

 

嵐の中に身を駆り立てるような去年の夏の今頃と比べて今年の夏はとても退屈に思えて、情熱を注ぐあらゆる対象への熱量が冷めてしまったような気がしたけど きっと理想を追い求めて心を焦燥させることに少し疲れてしまっただけだ。そのかわり自分と真正面から向き合おうと決めたら生まれてから今まで起きたいろんなことを思い出して、そのひとつひとつを時間をかけてゆっくりとなぞることが出来た。ひとつの時代が終わろうとしてるこのタイミングでそれが出来たのはとても良いことだと思う。よく考えたら今年の夏は新しい音楽にたくさん触れたり祖父に恋人を会わせることが出来たりと嬉しいことや楽しいこともあった。今のわたしは景色や瞬間は勿論だけど 何より経験が一番大切に思える。

 

安らぐ場所を 夢に続きを 君におかえりを

 

塾をサボって土手の上でLetters聴きながら月に雲の影がゆっくり重なっていくのを眺める時間が好きだったのを思い出した。

 

昔のことを思い返すのが楽しいけど、他人に伝えているうちに感情が加速してどんどん呼吸が荒くなっていくのがわかる。確実にトランス状態に陥ってると思うから誰かが止めに入っても話すのを辞めらない気がする。超キモいの分かっちゃいるんだけど、子供の頃のわたしは面白すぎたし それを知っているのはこの世でわたしだけだなんてって思うとやっぱり誰かに知っていてもらいたい気持ちになるけど、みんな他人の過去の話なんてとりわけ興味が無いと思う。恋の話もそうだけど。興味があるフリをしてくれてるだけなの知ってるから、冷静さを欠いて一通りお喋りし終えた後には必ず激しい自己嫌悪に襲われる。

言葉は拙いし、哲学や思想に対しての考えが浅い。恋人はわたしの頭が弱くてもへらへらにこにこ朗らかに過ごしている様子が好きなんだろうから、無理に難しいことを考えなくて良いんだよって自分に言い聞かせる。

けど、本当はもっとわたしの脳を覗いてほしいという願望も少しだけあって、悲しさや寂しさは全部言語化しないと伝わるはずなんかないけど、今のわたしにはそれが出来ないから苦悩を嘆く資格はない。

 

全然知らない人に、常にリードを付けられていないと駄目なタイプなんだねって言われた覚えがある。実際、本能のままに滅茶苦茶なことをしてるときの自分が結構好きだ。

 

最近は鏡の前で泣き出したり 取り乱したりする事がなくなったけど、決して容姿レベルが上がったわけではなく「私はブスである」という客観的事実をしっかり受け止められるようになった為、理想像と現実のギャップがなくなった。こうやってわたしはブスに慣れてブスのまま死んでいくんだろうな。

 

自分の感情との向き合い方を考えるあまり頭がおかしくなりかける、かと思うと何もかもどうでもよくなって思想の断捨離を始めて最終的に節操を失う。現状は前者だけど、これが過ぎ去ったときの方が危ない。心身ともに不健全になるし、2年前の夏はまさにそれだったから気をつける。人間関係において衝突したり傷つけあったりして、石ならとっくに丸くなっている頃なのに私の内部は尖鋭化するばかりで泣きたくなってしまう。

 

精神状態がやばい。なぜ泣いてるんだろう。 外の日差しと熱がすごすぎて私の体もどうにかなってしまいそう。彼があの子を思い出さない日はないという事実が辛すぎたのか、悔しさと悲しさが相まってとんでもない劣等感。